今津新之助は、キックベースで全員が主役になれる打順の組み立てに頭をひねる小学生でした。
「勉強であってもスポーツであっても、人並み以上にできる能力は周りを助けるためのもの」。「大好きなAくんが、弱いキックしかできないからといって、アウトになるためだけに打席に立ち、つまらない思いをするのはいやだ」。そんな今津少年に転機が訪れたのは小学校6年生のときでした。糖尿病に罹ったのです。「糖尿病だからかわいそう」という周囲からの視線は、「糖尿病でも幸せになれるはずなのに」という違和感を彼の心に生みつけます。
京都大学に入学後、今度は「京大生だから成功する人」というレッテルへの違和感が、幼い頃に抱いた違和感に結びつき、「どんな人でも幸せになれるはずだ」という信念が育まれていったのです。
生まれ持った、全体を見渡す広い視野と他者を思う優しさに、病気との戦いで得た強さが加わった人。それが今津新之助という人間です。
我那覇聖は、毎朝ひとり、誰もいない廊下を掃き清める小学生でした。
廊下や教室が喜ぶ「気」を感じることができた少年の瞳は、城跡に行けば、笑顔で建立に勤しむ人夫たちの幻影をとらえていました。苦役だったと言われているのに、自分の目に映る人々は楽しそう。少年は、他者にとっての常識と自分にとっての真実の間にある隔たりを幼い心に刻み付けます。
当時の一番の関心事はケネディ大統領暗殺の謎を解き明かすこと。2年間にも及ぶ「調査」の結果、真実に近づきすぎた少年は、ある晩夢枕に立ったケネディ大統領の警告に従い、それ以上の追究を断念することにしました。
ちょっぴり現実離れした感覚を持ちながら、中学校では5本の指に入る優等生。ところが高校では一転、勉強に興味をなくし、出席日数ぎりぎりで卒業します。
世間一般の常識や周囲の評価に囚われることなく、自分自身の内なる声を信じて行動する人。それが 我那覇聖という人間です。
我那覇存は、誰よりも少年らしいまっすぐな少年でした。
生まれ持った天真爛漫な素直さは、中学校で卓球部に入部すると、勝負にまっすぐ向き合う闘志へと昇華します。卓球の世界で国体選手の座にまで登りつめた中学高校時代を経て、大学に入学するも、2年間で中退。勝ち負けのはっきりしない生温い世界は、存にはしっくりこない世界だったようです。続いて入った専門学校も途中退学。
勝負から逃げないというこだわりを持ちながらも、合わないと判断すれば俊敏に対応できる直観行動型の人間として彼は成長していきました。状況に縛られずに決断できるという芯の強さを持つ一方で、人と混じわり、人と人とを上手につなぐことができるという別の側面も持ち合わせています。例えば呑み屋のカウンターで偶然隣り合わせた初対面のおじいさんと朝まで普通に酒を酌み交わせるような、心に垣根のない人でもあるのです。
人に対しては常に扉が開かれていて、状況に対して常にニュートラルでいられる人。それが我那覇存という人間です。








